海象ノ日記

はるかな昔に さりし人の歌 今日も街に流る おもかげ知らずに 歌われる歌よ 今日も街に流る (シャルル・トレネ)

共同浴場と旧白幡邸の雛人形と看板建築の理容院


入湯料¥200 ナトリウム・カルシウム-硫酸塩温泉


旧白幡邸へ…



資料によると、明治四十三年九月十三日 斧始め
大正元年十一月二十三日 竣成となり完成まで二十七ヶ月間を要している。

吊り雛や地元の手作り雛人形


名物の竹にちなみ、かぐや姫雛人形



六歌仙や「高砂」をモチーフにした人形


意匠をこらした衣裳
もうすこし、歩いてみた。

ビューティーサロン

サロンパス

庄内交通のバス停
横並びである看板建築


伊藤理容所

松田美容院

建築史家藤森照信が命名したもの。江戸時代以来一般的だった商店(店舗兼住宅)は、軒を大きく前面に張り出したもので、出桁造と呼ばれるものであり、立派な軒が商店の格を示していた。関東大震災後の復興では土地区画整理を実施し、街路を拡幅したため、各商店は敷地面積を減らさざるをえず、軒を出すのは不利であった(道路上に軒を出せば違法建築である)。また、耐火性を向上させるため、建物の外側を不燃性の材質で覆う必要があった。加えて、庶民層の間にも洋風デザインへの志向が強くなってきていた。こうした条件が重なり、震災復興の過程で大量の看板建築が造られることになった。擬洋風建築が大衆化したもの、という見方もできる。その後次第に地方にも看板建築を真似た商店が造られるようになった。
看板建築 - Wikipedia

すぐ近くの商店「ぱろす湯田川」(菅原酒店)


元々は、築百年の酒屋だった物を取り壊さずに改築し、お土産屋も兼ねるようになったとの事。

だだちゃ豆ソフト
豆乳アイスを10倍くらい濃くして
そこに、自然な豆の甘みとツブツブ感
少しトルコアイスのように粘りが有りうまい
この辺です

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帰りに寄った市内の豆腐屋兼うどん屋の「豆や」

豆やうどんもなかなか旨かった。¥580
この辺ではめずらしい良くダシの効いたうすい色のつゆ。
大きく軽めのがんもには、大豆、枝豆、こんぶなどが混ぜ込んである。